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詐欺問題考察:国際ジャーナルは国際的

指導か、教育か、暴力か。
昨年夏、某相撲部屋の力士が、先輩力士と親方により暴力を受けて死亡する事故があった。加害者である先輩力士は、あくまで稽古だたと言い張っていた時期もあり世間や報道側からも大きな批判があったように記憶している。

確かにビール瓶で頭を殴るといったような行為が本当にあったとすれば、暴力以外の何者でもない。いくら体力や学力やが違うそれぞれの人間であっても、人に傷が付くと理解できる範囲はたいてい同じである。同じでない人が、叱られたり、時には罪人となるのだ。


しかし毎日報道されるニュースを見ていると、残念ながら教育と指導と暴力とセクハラが混同し始めているのではないだろうかと思わざるを得ないのが現状だ。とはいえ、そもそも、そのものたちの境目などないのかもしれないが・・・。


社会は、誰もが共通したマナーやルールや一般常識の中で生きてきた。そのおかげで、一人一人、してはいけないことを積み重ね、自分を“叱り”他人を“叱る”ことで、皆立派に成長しあってきた。

ところが、“叱る”側にも“叱られる”側も非難や批判を受ける事態が相次いでいることで、たとえ親子でも、虐待や暴力とされてしまうようになってしまった。

子は叱られないことを愛情だと勘違いして生きる。そして大人になって誰かに叱られると、たちまち虐待だの暴力だのセクハラだのと世間から放り出されるまでの事態へと発展する。

怖いのは、たとえそこに、思いやる気持ちがあったとしても、同様の事態になることだ。叱る行為には、必ず「相手のために」という言葉がくっついていると思っている。だからこそ、“効き目”があり、やってはいけないことの意味を考えるようになるのだと思っている。

しかし、親子の間に“げんこつ”すらなくなる時代を見ていると、そういった“効き目”は、お互いの受身態勢がないと成り立たないのだと諦めに似た気持ちになる。現代の報道通信
インターネットで見られる情報サイトのいいところは、目的地(知りたい情報)へ超高速・最短距離でたどり着くことができることだろうか。

家で珈琲や紅茶を片手に知りたい情報がある場所へ飛んでいけるwebは、情報やデザインが以前よりずっとカッコヨクなってきていることを感じる。それでも、私は本を開けることをやめたくないと思っている。

なぜなら、知ろうともしてなかったけど有益な“知らなかった情報”や山のように落ちているし、知ってよかったと思える“探していなかった情報”が載っているからだ。

欲しいときにボタン一つで取り出せる情報は大変便利だが、そんなことをしなくても、自分にとっていい情報や手に入れてよかった情報は、ボタンがなくても頭の中からいつでも取り出すことができる。


病院の待合室で手に取った国際ジャーナルを手に取る。何気なく開いたページには、小さな社会で生きるための工夫や、地域への貢献が意味するものといったことが書かれている。普段はふと頭になんて上ってこないテーマが自分に入ってくる。テーマが一つであろうと、書かれている文節の一つ一つが引き出しとなることがある。広がりがある。

「楽しかった」や、「美味しかった」「悲しかった」で終わらない日記記事にはないものだ。


blogやmixiでさらにインターネット人口が鬼のように増えてしばらく、紙に載った活字を見る機会がぐんと減ってしまった人も多いハズだ。もったいないと思う。本を読んで書けば、もっともっと日記が見る価値や読む価値を上げていくと思うからだ。奥深き日本語
外国映画の和訳字幕を見ていればいるほど、日本語の表現は実にたくさんあるのだということに改めて気づく。

1つのことをあらわす単語や文がたくさんあって、使い方や使う場所によって相手への微妙な伝わり方が変わってくる。

例えば・・・・
嬉しいわ
嬉しいよ
嬉しいの
嬉しいです
嬉しい
嬉しいっ
嬉しっ

など。メールに書くときにも、最後につける語尾を何度も書き換えることだってるくらい、たくさんある。

こうした表現の多い難しい日本語のおかげで、近年は間違った日本語が当たり前に使われていることが問題視されているようだ。

例えばカフェに行って、珈琲を注文すると
「珈琲のほうでよろしかったでしょうか」
と店員が注文を繰り返してくる。

※何気なく「はい」と応えているが、
「珈琲と紅茶の二者選択」から選んでいるわけではないため
「珈琲でよろしいでしょうか。」
でいいはずだ。そしてさらに、過去に注文したものを掘り返してきているわけではないので「よろしいでしょうか」が語尾にくるのだ。

つづいてお金を支払うと、店員が
「500円からお預かりします」
といってお金を受け取る。しかし、ここでも大きな間違いが有る。500円「から」1000円(仮に)までといった曖昧な数を支払っているわけではないので、「500円お預かりいたします」でいい。

さらに出来た珈琲を持ってきて
「こちら珈琲になります」
と言って珈琲を差し出す。ここでも、ストップである。珈琲はこの後珈琲に変身したり、あるいは何かに変身するわけではないので、「お待たせしました。ご注文の珈琲でございます。」で充分だ。

このように、いいやすさやよく聞く言葉を何気なく使うと間違った日本語ばかりで暮らしていることになる。

これを聞いて育つ子供たちや、各地で聞く外国人観光客も間違った日本語を当たり前のように覚え、使っていく。やがて日本は間違った日本語だらけとなってしまう。

恐ろしいもので、人間はなれると違和感がなくなってしまい、逆に定着した後で訂正されたことにより強い違和感を覚えてなかなか修正が効かないというようなことにもなる。

私達は日本に産まれ、たくさんの表現により、より豊かに物事を捉えて伝えることができるのだから、それを誇りに思いながら正しい日本語を巧みに使いたいものだ。

参考文献:国際通信社グループ 報道通信社/報道ニッポン


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