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拾った国際ジャーナルで掲載

銭湯ブーム
銭湯ブーム、といってももう新しい話題ではないが、
報道ニッポンのバックナンバー(今年の7月号)を読み返していたら、
銭湯の魅力が綴られていて、ブームのわけが分かった気がした。

ブームとなるものには、共通することかもしれないが
社会背景にマッチしているという点が上げられる。

日本は風呂に入る=湯船につかるという独特の文化を持っている。
昔は1家に1つお風呂があるのではなく、皆近所の銭湯に行っていた。
近所の方に出くわし、ついついな長風呂になったり、
友達と情報交換などをするなど、コミュニケーションの場としても
大活躍だった。家のお風呂が日常化してからは、なかなか洗面器を
抱えて銭湯へ出かけるという習慣が無くなり、街の銭湯は一時
ぐんと姿を消してしまっていた。

ところが最近は、週末になると車を走らせて大衆浴場に
おでかけ感覚で行く人が増えている。その背景には、
「安価で楽しめる」「日頃の疲れから簡単に開放される」
といったことからが大半だ。
遠出して温泉にでかけても、結局はお金が高くかかり、
家計負担になってしまうが、銭湯なら、リーズナブルに
現実逃避というべきトリップができるわけだ。

さらに最近の大衆浴場は“スーパー銭湯”と呼ばれるように
湯船が3つ4つある銭湯とは違い、サウナに加えてミストサウナ
があたり岩盤欲やアカスリが併設されていたり、運動マシンが置いて
あったり、露天風呂が複数あるなどの何時間でも楽しめるような
作りになっており、休憩をはさみながら何時間もいる人が
多いのだ。

また、海外から日本へ来た滞在者の中には、
このお風呂文化を気に入って、毎日銭湯に通う人も少なくない
ようだ。

コミュニケーションがうすれつつある昨今、
“はだかの付き合い”を通してコミュニケーションや
ご近所付き合いが復活すれば、いい地域社会や復活していくと
ちょっと希望が見えてくる。飲酒運転
ひき逃げ、引きずり、当て逃げ、衝突、
ここのところ、テレビでは、車の事故の報道が多い。

人を引いたと分かっていながらそのまま走り逃げ、
結果、引きずったまま走行。その場で助けていれば
助かっていたかもしれない命も、残念ながら助からなかったという
ニュースもあり、被害者家族をおもうと胸がくるしくなる。

スーパーへ行った、会社の帰り、新聞配達、
ただ平凡だけど幸せな日常を暮らしていただけなのに、
罪のない人に被害を与えておきながら、罰が怖くて逃げるなんて最低だ。

中でも最近目立つのが、飲酒運転によるそういった車の事故だ。
これまで飲酒運転による悲惨な事故があれだけ報道されてきている
にも関わらず飲酒運転。どうしても車に乗らなければならない状況など
ないはずだ。たとえ上司に飲めといわれても、家に帰れなくても、
世の中には電車もバスもタクシーもある。運転代行というサービスを利用するのも今や当たり前だ。インターネットカフェが溢れかえっている次代だ。それを利用する手だってあるはずだ。

見知らぬ誰かに被害をあたえ、その人や周囲を犠牲にするかもしれない
意識を飲酒者及び運転者はもっと理解しなければならない。いち時代の終幕
90年代の音楽シーンを担ってきたとも言っていい人が
詐欺容疑で逮捕されたというニュースがここのところ毎日流れている。

庶民である私は、毎日スーパーで190円のトマトにしようか
250円のトマトにしようかと迷いながらも、
当たり前のように190円のトマトをかごに入れる。
でも、早く250円のトマトが買える豊かさがほしいと
願っていても、たとえ多少の出生でお金が稼げたところで、
250円のトマトは私にはいつまで経っても買えないのだと思う。

おそらく私は、金銭的な豊かさをもっても、トマトの優先度を下げて
いい車を買い、いい家を買い、遠くへ旅行に出かけてしまうのだと思う。
結局のところ、節約している箇所(=250円のトマトトマトを買うこと)
が変わることは、宝くじの1等前後賞付で当たらない限りは
訪れることはなく、ずっと庶民でい続けるのだと思う。

それでも私は、ひろい家に住めるのなら、190円のトマトは
いつまででもおいしく食べられる。なんなら100円のトマトでもいい。


渦中の音楽家も、トマトは250円を食べていたかもしれないが、
どこかで同じ節約をしていたのではないかと思う。
10億を稼げば、5億を必要とする事業をするだろうし、
1億円の買い物をいとも簡単にするだろう。
豊かさの度合いや感覚は違うが、全体の割合は
案外私達とそう変わらないのかもしれない。

一度頂上まで上り詰めてしまった人が、
次に目指すのは、更に高い山の頂上だ。
簡単に買える250円のトマトでは満足できない。
190円のトマトを美味しく食べるには、
250円のトマトを買えない生活をしなければいけない。

大きな山へ何度も何度もくじいて転びながら上ったのであれば
山の下へ戻る方法は一気に崖へ転落する以外はないのかもしれない。

ただ、もう深い崖の下を見たのだから、それ以上の下はもうない。
100円のトマトも190円のトマトも美味しくありがたくいただける。
美味しい250円のトマトを食べられる努力を知っているのだから、
後は上を見て、これまでの知恵を生かして素早く上ればいいのだ。

90年代はとっくに終わって2000年が既に始まっている。
2010年代、20年代が先には待っていてくれるのだから、
着実にそこに向かえばいいのだと思う。

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